出張中にふと立ち寄った道の駅「妹子の郷」で興味深いものを見つけましたのでご紹介させて頂きます。車を止めて降りると歩道の色が様々でした。不思議に思い歩いているとこんな物をみつけました。
温暖化対策で路面温度の抑制等の工法と材料の試験をしているようでした。
アスファルトの上に立つのと比べ涼しく感じました。今までの材料に土や木などを利用していることに興味を持ち、大変勉強になりました。関係ないかもしれませんが、当社でもタタキについてのお問い合わせが多いのもなにか分かる気がしました。タタキは駐車場には適しませんので当社では駐車場に真砂コン土間仕上げをしています。真夏でもアスファルトやコンクリートに比べ涼しく水はけもいいです。施工してもう10年以上経つそうです。
真砂コン土間仕上げ・・・
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2015/09/11(金曜日)新人:城本奮闘記!「俺の研究」・・・番外編4
2015/09/07(月曜日)秀吉が愛した伏見城!3度の再建と、秀吉が築城して家康が再建すごい話です。
京都を走行中山の上に立派な天守閣が見え直行!城好きはついつい城が見えると行きたくなります。写真は伏見桃山城運動公園にある、昭和39年に再建された伏見桃山城です。
歴史的には伏見城は3度にわたって築城されたそうで、1592年に豊臣秀吉の隠居後の住まいとして指月山に築かれたものを指月山伏見城、後に木幡山に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別され、さらに木幡山伏見城は豊臣期のものと、伏見城の戦いで焼失した跡に、徳川家康によって再建された徳川期とにわけられるそうです。
秀吉がこのお城でなくなった出来事や、その後天下統一する徳川家康がこの城に入り政務を行ったなどこの地域は歴史的に重要な場所だったんですね。
関ヶ原の戦いの際、建物の大半が焼失しまい、焼失した伏見城は1602年ごろ家康によって再建されましたがその後廃城とされたそうです。
廃城時の部材が、二条城、淀城、福山城などに移築されたというのもなんかいいですね。
桃山の由来も桃の木が植えられていたからとの事で桃山城だそうです。
残念ながら建築物の耐震の関係で中に入れないのが残念です。
鉄筋コンクリートの模擬天守とはいえ、築城から50年立派な文化財としての風格があるかっこいい天守閣でした。